2013年02月20日 [21:56]   日本サッカー全般 | スポーツ | 日本サッカー 

サッカー指導における暴力根絶の方向性を提示

先日の桜宮高校の体罰問題から派生して、柔道女子日本五輪代表の体罰問題とスポーツ界全体へと波及した体罰問題。
それに対して、それぞれが、それぞれの現場をしっかりと見据えて、対策だったりしていく事は大切です。
日本サッカーも協会が中心になって、どうやっていくか話し合いを持たれているようです。
第4回 サッカー指導における暴力根絶の方向性を提示。 具体的指針づくりをスタート
まだ、これから内容は詰めていくわけですから、ここで詳細な内容に関して言及しても仕方が無い。
というか、具体的な内容がまだ固まっていないですから語りようはありません。
ただ、こういう事をしっかりと明確に、そして、具体的に基準を作っていく事は大切である。

実際に、以前も書いたが暴力は間違いなくダメであり、それが、教育だと言っても、傷害であり、犯罪であることは間違いない。
ザッケローニ監督も語ったりしている通り、指導において暴力をふるうというのは、結局のところ、指導者側にコミュニケーション能力が足りないという事が言える。
指導者も、そのスポーツを続けてきて、スポーツの世界でのみ生きている結果、どうしても、コミュニケーションを苦手にしてしまう事もあるだろう。
それを改善する為には、荒療治的に言えば、どっかの企業の営業研修と言うか、そういう新人研修の中に放り込んで、強制的にコミュニケーションを取らざるを得ない状況に置いて、コミュニケーション能力を身に着けさせることも必要かもしれない。
ま、それはそれとして、こういう基準を明確に作るのは、体罰を受け無くする為の、選手側に対する防御だけでなく、指導者側を助けることが出来る。
こういう基準が無いと、どうしたって、厳しくする部分を、選手側、受け手側がそれを体罰だと言ってしまえば、それがまかり通る可能性がある。
別に殴ったり蹴ったりだけでなく、例えば、フィジカルトレーニングで、何キロも走らせるという事になった場合、それを選手側が体罰だと騒ぐ事も可能である。
しかし、運動量を高める為に、走って運動をする事で体力、持久力の向上が必要だろう。
そういう事を体罰だとされてしまえば、指導者側はどうしても選手の顔色を窺うようなことにもなりかねない。
そこまで極端な事が無くても、ギリギリのラインが難しく、無駄に選手の顔色だけを窺うような指導になってしまっては、絶対に選手の為にも、ひいては、そのスポーツの為にもならない。
そういう事を考えると、この基準は指導者側も、最低限そこまではやっても良い、逆に言えば、そこまでやらないといけないという事も明確になるので、指導がしやすくなるだろう。

何をどうというのは難しい所ですし、実際に、基準が正しくなるかどうかは不明だ。
それでも、こういう基準を明確にしておくこと、それが、今後の日本サッカー全体を考えても大切な事ですし、これからサッカーをやろうとする選手を助ける、将来の日本代表の育成に繋がるし、彼らを指導する指導者を助けることにもなる。
一方的な方向性だけでなく、どちらもプラスになる、サッカー界を発展させるための良い指針を作り上げて欲しい所ですし、その為には、机上で考えるだけでなく、現場の選手と指導者の声を聴き、そして、何より大切なのは、どちらの立場の人間にとっても、何かあった場合には、気兼ねなく相談する事が出来る第三者組織なりを用意する事も大切になってくるだろう。

これが、どういう形で出来上がるかは、まだ分からないが、良い形を作り上げて、日本サッカーだけでなく、日本スポーツ全体の良い基準となる事が出来るようになる事を期待したい。
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    部下D

    Author:部下D
    「闇を○くもの」「狂える○竜」などの二つ名をもつも、著作け…大人の事情で名前をぼかしている小心者の中間管理職員。
    一応魔王らしく、世の中を斜めに、皮肉に批評します。