2015年09月19日 [08:09]   サッカー | スポーツ | 日本サッカー 

クラマー氏逝去

1964年の東京オリンピックで日本代表コーチとなり、その後も、JFAの公認コーチとして当時の日本サッカーに色々とご尽力をいただきました、Dettmar Cramerが2015年9月17日逝去されました。
ご冥福をお祈りいたします。
当時は、まだまだ日本サッカーは発展途上。
マイナースポーツであり、まだまだそういうものがあるという認識以上ではなかった時代。
コーチとして来日していただき、日本サッカーの礎を作り上げてくれた。
まさに「日本サッカーの父」と言うべき存在で、実績としては、東京五輪でのベスト8や、直接ではないが、メキシコ五輪での銅メダルと言う結果を出した。
但し、それ以上に、彼によって、現在の日本サッカーがあると言っても過言ではなく、それこそ、サッカー専用スタジアムなど夢のまた夢、プロ化どころか、スタジアムや練習場の芝生化など、絶対に不可能だと言われた時代。
その必要性を伝えて、結果として、今のJリーグの成立や日本がWC出場する為の準備をしてくれたと言えるだろう。
日本にとって幸せだったのは、丁度、東京五輪という舞台があって、クラマー氏を招聘できた事、それによって、基盤を作る事で、そこから30年後、本格的にプロ化の道筋を作り出すことが出来た訳で、それが無ければ、今も日本は、東洋の後進国、WC出場など夢でしかなく、それどころか、サッカー自体がマイナースポーツのままだったかもしれない。

因みに、個人的に今の日本サッカーの礎を築いたという意味では、クラマー氏だけでなく、オフト監督が近代サッカーの芽を日本に植え付けてくれて、その前に、高橋陽一先生によるキャプテン翼が、サッカーをマイナーからメジャーへの一歩を歩ませたとも言える。
但し、その前段階で、サッカーと言う存在を日本に植え付けたのは、間違いなくクラマー氏だっただろう。
彼の提言が、今の日本サッカーを作り上げたのですからね。

そんなクラマー氏に対して、今、サッカーをTVやスタジアムで観れる事の感謝もこめて、ご冥福をお祈りいたします。
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    部下D

    Author:部下D
    「闇を○くもの」「狂える○竜」などの二つ名をもつも、著作け…大人の事情で名前をぼかしている小心者の中間管理職員。
    一応魔王らしく、世の中を斜めに、皮肉に批評します。