2016年01月08日 [08:40]   徒然なるままに | ブログ | 徒然なるままに 

大坂冬の陣

最近、NHKを中心に今年の大河ドラマである真田の情報が多く流れている。
昨年、2015年が大坂夏の陣から400年ですから、何と言うか1年遅い気もするが、それでも、今年の大河ドラマは楽しみではある。
とはいえ、個人的に真田信繁は、坂本竜馬なんかと同じく過大評価されていると思えるけどね。
今回の大河ドラマ、一応、CMと言うかPRでは幸村の名を出しているが、内容としては、ちゃんと信繁としている。
これは、はっきり言って大きい。
何故なら、幸村と言うのは、講談何かで使われた架空の人物の話で、例えば、三国志演義の孔明だったり、封神演義の太公望のようは、史実を下敷きにしてはいるが、あり得ない人物として書かれた存在である。

それを、信繁として事で、少なくとも最低限の時代考証は出来ていると言えるし、面白くはなりそうです。
ま、もしかしたら、幸村の活躍を期待している人には、物足りなくなるかもしれませんけどね。
ただ、気になるのは、一昨年の官兵衛の時に、戦のシーンがほとんどなかったのは、そういうシーンを収録するお金が無いからとか言う話があったが、もしかしたら、今回もあまり戦のシーンは無いかもしれませんね。
それでも、大坂冬の陣と夏の陣は、やらないといけないので、全く無しとはならないとは思いますけどね。

さて、先に過大評価と書いたように、信繁に関しては、大した功績はあげていない。
唯一の功績は、大坂の陣で、幕府側から「日の本一の武士」という評価をされ、夏の陣で家康本陣の襲撃を行った事くらいだろう。
そもそも、大坂の陣においての、信繁の存在は、ある程度のフリーハンドな指揮権はあるだろうが、それでも一部隊の長という所だろう。
全軍の総大将は、言わずもがなの秀頼ですが、そのもとで全軍の指揮権を与えられた訳でも無い。
事実、信繁たちは機内を抑えておいて、滋賀あたりでの迎撃を考えていたのが、結果として、籠城戦と言う事になった。
その瞬間に、豊臣方の戦略的な狙いは以下の通りだろう。

1.徳川軍をやぶる
2.有利な状況で講和を結ぶ


1.徳川軍をやぶる
戦略的に徳川軍に勝つというのは、ほぼ不可能だろう。
兵数的に圧倒的、確かに大坂城は良い城で、籠城戦も戦えるだろうが、当たり前だが、籠城戦で勝利する条件として、援軍などが不可欠。
ただ、豊臣側に同調する大名が無かったと言われている通り、状況的に、好転する可能性は低い。
確かに、徳川方が苦戦しているという情報が流れて、対陣が長引けば、もしかしたら、外様となる大名が幕府の足下を見て反旗を翻す可能性はある。
しかし、それに対して徳川側は、きっちりと要所に信頼できる大名を配していて、その上で人質も取っており、完璧とは言えないが、十分な対策を練っている。
そうなると、籠城しても、ただただジリ貧でしかない。
因みに、冬の陣で、真田丸を守る信繁に徳川方が苦戦したという話もあるが、確かに、真田丸を落す事は出来なかった。
但し、徳川方にとってみて、戦略的には、真田丸を落す必要は決してなく、戦術的にみても、落とした方が、大坂城攻めが容易になるのだが、実際には、大砲の射程が届いているなど、必ずしも、そこから攻める必要性も無かった。
逆に、兵数に劣る豊臣方の部隊を、一箇所に押し込めておくことが出来れば、それで十分な成果だろう。

2.有利な状況で講和を結ぶ
結局、豊臣方の大勢は、これでしかないだろう。
事実、戦争勃発前から講和に関しての和議の交渉は始まっていたようですしね。
豊臣方としては、多少の禄を減らされても、秀頼の無事と人質なしと言う部分は押さえておきたい。
その上で、大坂を手放さないで置ければいいというのがあるだろう。
但し、烏合の衆となっていた豊臣方にとって、足並みをそろえることが出来なかった為に、なかなか有利な形でとはいかず、出来れば一戦して、ある程度の力を見せておく必要もあったという所だろう。
それ以上は求めていなかったように思える。

しかし、徳川方にとっては、無理に攻める必要もない上に、囲んでおけば、最終的には自分たちが有利な形で和議を結べるだけに、問題はなかった。

結局のところ、豊臣方は戦略的に圧倒的に不利な上、戦略的選択肢も少なく、一戦して、それなり以上の成果を上げないといけない。それでも、圧倒的に戦略的優位にたっている徳川方にとって、一戦や二戦の戦術的敗北は対して被害とはならない。
そうなると、この戦略的劣勢を、もし戦術的勝利によって巻き返すのであれば、徳川家康、秀忠を戦場で討つしかない。
この二人が、もしくは、家康の首を取る事が出来れば、一発逆転は可能だっただろう。
そうなった時に、初めて幕府に不満のある地方大名が反旗を翻す状況になったとも言えるし、それで漸く、それらが徳川側から豊臣方に移る可能性が出てくる。

そう考えた時に、豊臣方の籠城はやはり愚策だったかもしれない。
家康や秀忠を討ちたくとも、完全包囲の中で、その陣の後ろに下がった位置にいる両名の本陣を攻めること自体が難しい。
籠城した段階で、戦略的勝利も無くなり、何とか負けないだけの結果だけになる。
これらに関して、確かに籠城において真田丸の存在はそれなりに大きかっただろうが、先に書いたように、あってもなくても、攻める事は可能だった徳川にとってみて、そこまで脅威ではなかった。
結局、負けた側でそれなりに結果を出していたからこそ、評価されたが、大した結果とも言えないに過ぎない。


夏の陣に関しては、またの機会に。
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    部下D

    Author:部下D
    「闇を○くもの」「狂える○竜」などの二つ名をもつも、著作け…大人の事情で名前をぼかしている小心者の中間管理職員。
    一応魔王らしく、世の中を斜めに、皮肉に批評します。