2016年04月06日 [09:02]   サッカー | スポーツ | 世界サッカー 

クライフ

先月の3月24日、世界サッカー界のレジェンドでもあるヨハン・クライフが亡くなった。
まだ、68歳と若かっただけに、非常に残念である。
私個人に関して言えば、サッカーを始めるきっかけは、どちらかと言うと同じ1970年代にクライフのライバルとも言うべきベッケンバウワーの方である。
サッカーを始めるきっかけになったのは、親戚がもっていた、74年だったかと思いますが、西ドイツWCでのビデオを観たことがきっかけである。
そして、その決勝で、クライフとベッケンバウワーが戦ったからこそ、私自身はサッカーを好きになったと言っても良いだろう。
1970年代に、ベッケンバウワーがいて、そして、クライフがいたからこそ、今のサッカーがあると言える。
その時代の二人は、今にして思えば、本当に鏡合わせの存在だったようにも思える。
単純なポジションでも、最前線のクライフと最終ラインのベッケンバウワーと言う違いがある。
その二人は、そういう好対照であり、また、先の西ドイツWCにおいても、大会前優勝候補の筆頭に挙げられながらも苦戦を続けて、苦労して優勝した西ドイツに対して、予選で苦戦して、大会前に監督が交代、バタバタして本大会に臨む事になったオランダでありながら、大会は快調に決勝まで駒をすすめ、その決勝の先制点まではオランダの大会と言っても良かった。
そのサッカーに関して言っても、同じく対照的と言うべきか、人種的なものもあるのかもしれないが、やはり、規律と言うか、それぞれの役割がはっきりしているドイツに対して、トータルフットボールとして、ポジションにこだわらないオランダのサッカー。
その中で、最終ラインの選手でありながら、試合の状況に合わせて、攻撃参加をしていく、自由と言われるリベロシステムを作り出したベッケンバウワーであり、自由な中でその為のスイッチを入れるように自由に動き、時計仕掛けのオレンジの心臓部と言われたクライフ。
何と言うか機械的なサッカーの自由と自由なサッカーの機械的なスイッチと言う対局であり、同時に、お互いにスタートの位置や状況に対する影響の方向性は逆だったとしても、ピッチ上での監督と言うべき自由が与えられていた。
そんな二人だったからこそ、ポジションは異なりながらもライバルと言えたのだろうな。
その二人がいたからこそ世界のサッカーが動き、今のサッカーになってきているとも言えるだろう。
彼がいなければ、選手として、監督として、二人が揃っていなければ、今のサッカーへと繋がることは無かっただろう。
まだまだ早過ぎる気がするが、その冥福を祈ると共に、これからのサッカーが、クライフにとってみても、良いものであってくれることを希望し、見守っていって欲しいですね。
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    部下D

    Author:部下D
    「闇を○くもの」「狂える○竜」などの二つ名をもつも、著作け…大人の事情で名前をぼかしている小心者の中間管理職員。
    一応魔王らしく、世の中を斜めに、皮肉に批評します。